紫陽花ギャラリーvol.2
2016/06/03
紫陽花ギャラリーvol.2
早朝の紫陽花は美しいですね。
1週間ほど前よりさらに色づいてもう直ぐ大人になりそうな紫陽花です。
この淡い色のグラデーションが夢を見ているような...
あるいは目覚める前の移ろいのような...
無垢が時のリアリティーに染められていく、というような...
あまりに綺麗なのでちょっと詩的に表現してみましたが
どんなもんでしょう。。。(^^)
日中の炎天下ですとシオシオですけれど、
澄んだやわらかな光と朝のやや湿度を帯びた空気の中では
辺りに命の微粒子を滲ませている感さえあります。
紫陽花に限らずですが、
「満開!」とか「見頃!」
「絶頂期!」とか「最盛期!」とかよりそこに向かう時の変遷に心惹かれます。
それは特定の一瞬ではなく
切れ目のない時の流れ。
いわゆる「満開!」も「絶頂期!」もその流れの中にあり
一瞬たりとも止まっていることはなく、
東洋的思想なのかもしれませんが、
移ろいゆくことが摂理のような気がします。
七変化と呼ばれる紫陽花も
水中のオタマジャクシから陸にも上がるカエルも、
何もかも何もかも留まっていることはなく
気が遠くなるほど限りなく変化し続けています。
だからこそ、その刹那が美しくかけがえがなく
そこに永遠をも感じるように思うのです。
今朝の紫陽花も夏が終わる頃には
茶色っぽいドライフラワーになっていることでしょう。
それもまた、よし、です。
無常と背中合わせの命の意味をそこはかとなく味わわせてくれた
美しい乙女の紫陽花でした。
[ caeru ] の未完壁主義について話を進めたかったのですが、
もう陽も高くなってきたので
それについてはまた改めて。。。。。(^^)^